私の経歴と卓球ビジネスをはじめるまでのストーリーとは?
私は1958年1月生まれの60歳を超えた元気な卓球プロデューサーです。
大学の一年生まで卓球をしてましたが体を壊して現役をあきらめました。
そのことが、教える喜びを私に教えてくれたと思います。
現役をやめてからは母校の高校生を指導して、1学年下の後輩を県内ベスト64から
インターハイ県大会で奇跡的なベスト8に入賞させることができました!
同じく女子の後輩も県内で1位と2位に入賞してインターハイまで行きました。
この体験が数十年後の現在に活かされていることに不思議な縁を感じております。
私は、大学卒業後飲食業のサラリーマンとして入社しました。
ちょうど3年後にバブルが沸き起こる時期に父の友人から建設業の下請けを
さがしているからと言われ、社員4人で事業を始めました。
しかし、
その3年後に父より事業の継続を望まれて一代で築き上げた
父親のもと長年「土建屋」をしておりました。
高いところに上がって作業するとび職をしたり、大きな重機に乗って
建物の基礎を掘ったり土をダンプに積んだり、
10トンダンプに乗って土を運搬をしたりしておりました。
いわゆる3Kという職業でした。
一年中真っ黒に日焼けして色が取れないので、よくプロゴルファーですか?と聞かれました。ウソ!
というより、いつもゴルフに行っているのか?と聞かれました。(笑)
そのときに決まっていうことはゴルファーは手袋をつけている手は
白く反対は黒いが、私は仕事なので両手が黒いからゴルフはしてませんと言いました。笑
汗とホコリと太陽の熱でホコリがしみ込んで黒くなった肌は、
秋になっても冬になっても色あせをすることはなかったです。
卓球ビジネスを始めてからは顔の色は白くなり、凛々しさはなくなってしまいました。
でも、好きな卓球を教えたり試合に出たり、たくさんの人と知り合うことが
できる大会を開催してとても元気になったことは確かだと思っております。
私は1958年1月生まれの60歳を超えた元気な卓球プロデューサーです。
大学の一年生まで卓球をしてましたが体を壊して現役をあきらめました。
そのことが、教える喜びを私に教えてくれたと思います。
現役をやめてからは母校の高校生を指導して、1学年下の後輩を県内ベスト64から
インターハイ県大会で奇跡的なベスト8に入賞させることができました!
同じく女子の後輩も県内で1位と2位に入賞してインターハイまで行きました。
この体験が数十年後の現在に活かされていることに不思議な縁を感じております。
私は、大学卒業後飲食業のサラリーマンとして入社しました。
ちょうど3年後にバブルが沸き起こる時期に父の友人から建設業の
下請けをさがしているからと言われ、社員4人で事業を始めました。
しかし、
その3年後に父より事業の継続を望まれて一代で築き上げた
父親のもと長年「土建屋」をしておりました。
高いところに上がって作業するとび職をしたり、大きな重機に
乗って建物の基礎を掘ったり土をダンプに積んだり、
10トンダンプに乗って土を運搬をしたりしておりました。
いわゆる3Kという職業でした。
一年中真っ黒に日焼けして色が取れないので、
よくプロゴルファーですか?と聞かれました。嘘
というより、いつもゴルフに行っているのか?と聞かれました。
そのときに決まっていうことはゴルファーは手袋をつけている手は白く反対は黒いが、
私は仕事なので両手が黒いからゴルフはしてませんと言いました。笑
汗とホコリと太陽の熱でホコリがしみ込んで黒くなった肌は、
秋になっても冬になっても色あせをすることはなかったです。
卓球ビジネスを始めてからは顔の色は白くなり、凛々しさはなくなってしまいました。
でも、好きな卓球を教えたり試合に出たり、たくさんの人と知り合うことが
できる大会を開催してとても元気になったことは確かだと思っております。
自己紹介をさせていただきます。
https://vimeo.com/embed-redirect/425437336
【東京のメンターとの出会い】
【卓球ビジネスに出会う】
41歳で会社を引き継いだ私がちょうど50歳のときに建設業の厳しい状況を
立て直す目的で東京のある素晴らしい先生にアドバイスをいただきに上京しました。
他にも起業を目的とした人など10名ほどの起業家さんが参加しておりました。
その中には、コンサル業を起業する人、ご家庭に行って料理を提供する人、
造園業を拡張する人など素晴らしい人たちが見えました。
そこで、土建屋を立てなおす手段を訪ねたときに先生が急に私の趣味を聞いたのです。
清水さんは、なにか趣味はありますか?
私は、今は卓球を指導しており、中学生のときはボーリングが得意でしたと言いました。
私は、あまり趣味がないのですが中学生のときにはボーリングが盛んで3時間待ちが
普通の時代でしたが、私は自宅前にオープンしたボーリング場に半年間だけ
毎日のように通い毎回16ゲーム投げながら大人・ジュニアの試合に
出ながらプロにチャレンジできるまで上達しました。
最高点はアメリカン方式の2レーン使用で289点です。
今でも当時の難しかったレーン状況で出した最高点の風景は
ハッキリとよみがえることができます。
でも、高校入学と同時にきっぱりとやめてしまい、
高校では中学生のときに地元で1番だった卓球を始めました。
ですから、メンターの先生にはボーリングか卓球が好きですが
今は卓球をママさんたちに教えておりますと伝えました。
すると、先生はカチカチとパソコンのキーボードをたたいてニコッと笑いました。
そして、土建屋を立て直すよりは卓球ビジネスを立ち上げて事業を
転換する方がいいと言われました。
そして、3か月かけて学生時代に自分で考えながら練習をしてきた方法や
試合で学んだことなどをレポートにまとめて有料教材として販売をすることになりました。
まさか、私みたいな名も知らないものが書いた卓球教材など売れるはずがないと
思っていたのに売れるとは思いもよりませんでした。嬉しかったです!
この教材は約190ページもあるのですが、卓球のような動きのあるものを
ひとつずつ文章で表すことがいかに難しいかを身をもって知ることができました。
言葉や映像で伝えれば1分のことが、文章で伝えるには1時間以上の
時間をかけて文章で伝えることが読み手の頭の中に映像として
描かれなければ伝わらないことをつくづく思い知らされました。
小説本を読んでは情景が浮かぶ文章を勉強しながら3か月もかかって書き上げました。
そのとき思ったのが小説家の人はすごいなぁと思いました。
それは、ひと言か短い文章で読んだ人の脳裏にその情景が浮かぶことばを読ませているのです。
凄いことですよ!
少し文章を書くことに自信があっても情景が浮かぶ文章を書けるかが大事だと思いました。
その教材が一番最初に福岡県福岡市に住む女性の人に買っていただいた
ときには涙が出るほど嬉しかったです。
今もお元気か気になります。
この教材は、1000人以上のかたに読まれました。
このあと、清水さん!
全国で有名な卓球の指導者を知りませんか? と先生が聞かれました。
私はそのような指導者は知りませんと答えました。
すると、先生は清水さんが地元に帰ったら調べて会える指導者を探してくださいと言いました。
【先輩との出会いと佐藤利香さんとの出会い】
地元に帰って数日がたったある日のことです。
何気なく、ポストの郵便物を手にしました。
その中に1通の卒業大学からの郵便物がありました。
開けてみると、すぐに退部した卓球部からの案内でした。
その内容は、大学卓球部にはいるきっけかを作っていただいた
大先輩の西飯さんが大学の卓球部監督に就任するため
久しぶりに総会を開く出欠の返事が欲しいというものでした。
卓球部を卒業していない私に総会に出てもいいハガキが来るとは不思議に思いました。
でも、
このハガキはメンターである先生のお父様が運んできたものだと思いました。
それは、お父様は学生時代に卓球をされていて先生が小学生のころには
自宅にその当時の日本のトップ選手が遊びに来ていたことを話してくれたからです。
私は、その総会に出席させていただきました。
総会終了後、私は思い切って西飯さんにお願いをしました。
西飯さん、卓球DVDに出ていただける
有名な女性の指導者はいませんか? とお願いしたのです。
そしたら、もう一人の先輩である村瀬さんのところに
行って聞いてみるようにと言っていただきました。
数日後、愛知県刈谷市に住む村瀬さんの卓球場に
足を運んで指導者のご紹介をお願いしました。
村瀬さんもジュニアを育てて日本一にするほど素晴らしい指導者です。
今回、ご紹介いただいた女性の指導者は
高知県明徳義塾高校女子卓球部監督の佐藤利香さんでした。
村瀬さんは日本選手のサービス担当コーチをされており、
その関係でのちにコラボしていただく佐藤利香さんが高校2年生の
全日本卓球選手権前に近藤欣二監督に頼まれてサービスの指導をしたことで、
その年の全日本卓球選手権ジュニア優勝と全日本チャンピオンの二つを同時に獲得されました。
全日本チャンピオンの史上最年少優勝記録は平野美宇選手が
破るまで約30年間破られませんでした!
そのご縁がこれほどの素晴らしい女性指導者を紹介していただきました。
私のお願いした女性の指導者であり、石川佳純選手率いる四天王寺高校を
決勝戦で破って明徳義塾高校を初優勝に導いた日本一の女性監督を
紹介していただいたことは本当に信じることができないご縁だと思います。
私は、さっそく佐藤利香監督にお電話をしてお願いをしました。
しかし、かたくなに断られました。
そりゃそうですよね!
見ず知らずの、名も知らない、地方のおじさんからのお願いを「ハイ」とは言わないですよね。
でも、私は数十分以上なんとか食い下がって明徳義塾高校にお邪魔する約束をしていただきました。
そして、2010年11月に私は明徳義塾高校卓球部道場に行きました。
いまでもはっきりと覚えていることは、扉を開けたその奥に暗幕が掛かっておりました。
その奥の道場は怖い監督がいて、選手は全員が緊張しながら練習をしていると
思うとなかなか暗幕を開けて入る勇気が出ませんでした。
はやく、誰か選手が出て来ないかなぁ? と心で願っておりました。
しかし、誰も出てくることはなく時間だけが進んでいきました。
私は、思い切って暗幕に手をかけ開けて卓球道場にはいりました。
暗幕の向こうには、私の思っていた風景とはまったく違った風景がありました。
それは、暗幕を開けるなり60人の選手全員が私に向かって
「こんにちは!」と言ってくれたのです。
そして、佐藤利香さんがコチラに素晴らしい笑顔で歩いてきて清水さんですか?
と明るく迎えてくれました。
すぐに総監督の佐藤建剛さんに挨拶をさせていただきましたが、
建剛さんも笑顔で迎えてくれました。
こんな笑顔いっぱいの練習でよく日本の高校卓球部で常にトップクラスにいるなぁと思いました。
私は、休憩時間まで選手の練習や指導を見学をさせていただきました。
休憩時間を待って佐藤利香さんに私のお願いである、卓球DVDへの出演を依頼しました。
でも、難しいことを言われましたが出演する条件をすべて聞くという条件で
コラボを引き受けていただいたのです。
本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
行くときは車で9時間かけて遠い道のりを行きました。
明徳義塾高校は黒潮を眼下に見下ろす本線道路から
山道をくねくねと下ったところに学校があります。
二度と来たくないような道のりでしたが、佐藤利香さんに3年生の競技が終わる
翌年の2月に撮影をするために再度来ることを約束して嬉しい帰路につきました。
【撮影にご尽力いただいた四国大学教授との出会い】
帰宅後すぐに見つけなければならないのは、撮影をお願いする会社でした。
この撮影をお願いする四国大学の前にご指導をいただいた東京のプロとの出会いをお話します。
この方は、私が参加した起業家の一人である人のお友達でした。
私は直接知りませんでしたが友達の力でわざわざ私の映像技術を
指導するために講習会を開いていただきました。
さらに、映像を編集するためのパソコンなどを教えていただいたりと
数回は特別に講習を開いていただきました。
なんと、その方は明徳義塾高校の隣町の出身という不思議な縁を感じました。
でも、撮影する時期は仕事で行けないということなので、自分で撮影していただく会社を探しました。
高知県ではなかなか見つからず、撮影料も高額で手が出なかったというのが正直なところです。
頭をひねり出しながら考えました。
そして、ひらめいたのが地元大学の映像をする学科にお願いすることでした。
明徳義塾高校に近い大学を探した結果、四国大学に映像を学ぶ学科を見つけました。
ダメもとで私はその大学の担当教授にお願いのメールを送りました。
そのお願い内容は、まずお金があまりない、だから学生さんの課外授業の
一環スタッフとして最低限の費用で撮影をお願いすることでした。
それから、返事のメールは来ませんでした。
やっぱりダメかぁ!と思って10日以上がたったある日、待ちに待ったメールが届いたのです。
しかし心のどこかでダメと思って開いたメールには、また裏切られる内容が書かれていました。
教授より、面白い内容の撮影企画なので一度四国大学に来てくださいという内容のメールでした。
またまた、嬉しい結果につながりました。
12月に四国大学の教授のもとへお邪魔して内容を詳しくお話しました。
そうしたら、教授と専門の先生や助教授の先生が打ち合わせに
参加していただき快く撮影するお約束をしていただきました。
さらに、教授が学校に掛け合っていただき少しは学校からも援助する約束もしていただきました。
本当に感謝しかありませんでした。
【2月の明徳義塾は寒すぎる環境での撮影だった!】
ついに2月の25日の寒い日に撮影が始まりました!
その時期は、高知県といえども寒い時期で当日は特に寒い日になりました。
私は高知県と言えば、南国土佐を後にしてという歌詞から暖かいと小さいころから思っていました。
しかし、行ってみると南国土佐は寒いところでした!
撮影は専門学科の大学なので機材も本格的で高そうな撮影カメラが2台と
集音機材やその他の機材がそろいました。
しかし、当日はとても寒く卓球道場では大きなストーブを
4台揃えていただきましたが、寒すぎてストーブの周りに集まって撮影をしました。
撮影する選手はユニフォーム姿になるのでとても寒そうで、
撮影が終わると走ってストーブで体を温めていました。
そして、撮影に来ていただいたスタッフの方は教授をはじめ学生だと
思っていた私には驚いたことに全員が大学で教えている先生と職員の方が
撮影にあたっていただいたことです。
2日間に及ぶ撮影を終えてから、編集作業がほとんど出来上がったことを
連絡いただき再度四国大学に打ち合わせをしに行きました。
そして、ジャケットのデザインも大学で教えられている先生に
デザインをしていただき素晴らしい卓球DVDが出来上がったのです。
こうして、
不思議なご縁をいただきながらついに佐藤利香さんの5巻シリーズの卓球DVDが完成しました。
その内容は!
明徳義塾高校卓球部女子監督の佐藤利香さんとコラボしてあなたの卓球が
上手くなるために4選手の戦型別に基本から必要な練習方法を
5本のシリーズとして卓球DVDをインターネットを使って販売しております。
その後も毎年のように卒業する選手に出演してもらいながら
初級者の人や学生の指導に役立つ卓球動画を撮影するようになりました。
最近ではYouTubeでさまざまな選手の試合や指導者による技術が動画投稿されて
いつでも無料で見ることができるようになり以前と環境がガラリと変わりました。
しかも、
インターネットを使うことが苦手な私にはなかなか収益を上げることが
難しくなっているのが現状です。
卓球大会を地元で開催してたくさんの先輩や仲間と友達になることができました!
健康な人づくりのためにラージボール卓球大会を 8年前から開催してきました!
8年前からラージボールの普及のために年間3~4回開催してきました。
ちょうど6年前に地元三重県で全国ラージボール大会が開催されました。
出場される選手の応援に行ったときに、出ていた先輩から清水もラージボールをして
練習相手になってくれと言われ会場でラバーを買わされることになりました。
でも、なかなか練習する機会がないので仕方なしにラージボールの盛んな隣の愛知県に
ラージボールの指導をしてもらいながら練習するために月に1、2度時間をつくって出かけていました。
ラージボールをされるかたは年齢が高いですが、みなさんとても元気で医者にも行かないと
言ってラージボールを楽しんでいました。
それもそのはずです!
13時からはじめて17時まで、ほとんど休むことなくゲームを楽しんでいるのです。
私がはじめて練習に参加したときのことです。
疲れたとの喉が渇いたので休憩しようと卓球場の出口に向かいかけたときです、
清水くんどこに行くんだ?と声を掛けられました。
少し休憩をしてきますと言ったら、若いんだから休憩などしなくていい
今から試合をしようと言われたのです。
えっ! と声が出てしまいました。
一番若いほうの私が練習についていくことができなかったのです!
ラージボールがこんなにも大変だということを身をもって知ることができました。
これはすごいと思い、ぜひ地元でもラージボールを普及して元気な高齢者を増やしたいと思いました。
それは、あるひとりの女性が言ったことばからでした。
わたし:こんなに練習してたらどこか悪くなりませんか?
女性:そりゃあ、なるわなぁ! これだけやればよぉ!
女性:でもよぉ、わたしの友達なんかちょっと腰が痛いやらひざが痛いやらで、
すぐに病院にいかっせるでよ。
女性:わたしなんか、卓球の練習がいそがしくて病院にいっとる暇がないでいかんわ!
女性:保険料を返してほしいわ!
ということばを聞いて、地元でもラージボールをして元気な体を作りながら
卓球仲間と笑顔を通して病院に行かないシニア世代を増やそうと思いました。
それによってちょっとした痛みで病院にかよって医療保険を使わない人たちを
育てることが社会に少しは役立つと思ったからです。
そのために、愛知県の指導していただく人の力を借りて三重県でラージボールを開催しました。
また、ラージボールを普及するために月1度の練習会をしながら少しずつ愛好家を増やしてきました。
でも、8年たった今でも地元ではやっと100人のラージボール愛好家が育ってきましたが
大会をするには愛知県などから参加していただく状況が続いております。
愛知県から来ていただくために、自分は愛知県の大会に参加している状況が続いています。
これからも、頑張ってラージボールを地元に広めていきたいと思います。
市の体育協会にラージボール教室を開設する お願いが承認されました!
4年前から昨年度まで年2回の市民ラージボール教室を開催していただくことになりました。
教室のコーチには理事長である先輩と私の二人で指導をさせていただきました。
ラージボール教室を開設するにあたって、ラケットが必要になります。
硬式のラケットと違ってラージボール用の表ソフトラバーが貼られたラージボール専用の
ラケットが必要になりました。
定員40人分のラージボールラケットを買うためにはかなりの予算が必要になります。
そこで、私はニッタクの講習会でお世話になった先生に無理なお願いをしました。
先生、お願いがあります。
じつは、今年から地元でラージボールを普及するために教室を開設することが決まりました。
でも、ラージボールのラケットがありません。
ラージボールの普及するためにラケットを寄贈していただくことはできませんか? と
図々しいお願いをしてみました。
翌日、先生よりニッタクのラケットを40本寄贈することを約束する連絡をもらいました。
本当にうれしかったです。
数年間コーチとしてラージボール普及のために活動してきましたが、ラージボールをする
人口を増やすにはすそ野を広げる必要があるとお世話になっている愛知県の先輩に教わり
市のラージボール卓球教室の開校をお願いした結果、うれしいことに教室の開校を承認して
いただくことができました。
ただ、3年目を迎えた昨年にはラージボール教室に集まる人が少なくなってきました。
その理由を私なりに考えるとラージボール教室は夏と冬に5回ずつあります。
生徒さんの数も30人は参加していました。
しかし、教室で私たちが一生懸命に教えても、それを練習する場所、クラブがありません。
私も紹介する場所やクラブがないのでどうしようもありませんでした。
となりの愛知県ではラージボールクラブがたくさんあり社会人クラブ選手権があるほどです。
でも、私の地元三重県ではラージボールクラブは一つもありません。
平日の昼間に市の体育館にラージボールの有志が集まって練習をするくらいです。
夜には各クラブが中学校の体育館を借りて練習をしておりますが、硬式の練習だけで
ラージボールの練習はほとんどする人がおりません。
この状況を教室で指導しながら、私自身でSK杯というラージボールの大会をしながら見てきて
ラージボールの普及は限界かなぁ?と思いました。
それで、ラージボールの指導をする理事長に思い切ってお伝えしました。
もし、可能であればラージボール教室を廃校して硬式の教室にしてください。と伝えて了承され
昨年度でラージボール教室はなくなりました。
とても、残念なことになりました。
ラージボールを広げるための方法として、次の手段を考えてみました。
ラージボール愛好家を増やすために硬式の大会を テストとして主催してみました!ところが・・・
約2年前から先輩の夢であった硬式の団体リーグ戦を手助けする形ではじめた大会は驚くほど
超人気で初回からキャンセル待ちが続く大会となっております。
現在では卓球台が34台で136組(272人)が参加しておりますが、
新総合体育館ができる2020年6月には48台で192組(384人)に増やす計画をしております。
素晴らしい大会になる予感がします!
そこで、私も先輩の許可をいただいて同じ形式でキャンセル待ちをしている選手を
対象として女性だけの硬式2人団体リーグ戦を昨年の7月から2か月に一度開催を
するようになりましたが、この大会でも驚くことにキャンセル待ちをしていただく
選手が見える状況になっております。
私がラージボール大会を開催していろいろな咤激励を受けながら大会の形式や運営やり方、
資料の修正など来ていただく選手の人たちに喜んでいただけるように7年かけて
何度も何度も修正してきました。
この間に学んだことは練習するチームの人たちは同じような年齢の人たちが集まって
クラブチームを作っていることです。
あなたの所属するチームもそうではありませんか?
平日の昼間に練習するクラブに若い人は少ないと思います。 そうではありませんか?
若い人は平日は仕事をしており夜に練習をしますが、定年した人は昼間に練習して夜は早く寝ます。
ですから、同じチームの人は年齢が近い人が多いので試合の総当たり組み合わせを作ると
同じチームの人がたくさん当たる場合が多くあります。
せっかく来たのにチームの人と戦ったり、同じ場所で練習する人と戦うのはイヤだ!と言う人がいます。
それを解消するためにいろいろな試合方式や組み合わせを考えては繰り返しやってきました。
やっとこさ8年目にして怒られることが少ない試合方式を見つけたように思います。
でも、人間は慣れると文句を言う動物ですからあと何回できるかはわかりませんが、
今は喜んで来てもらっております。
しかし、8年かけてラージボールを広める活動をしてきましたが地元三重でも確かに
ラージボールをされる人は増えております。
でも、大会を開催しても試合に出てもらえる人は100人が限界です。
大会を開催するにはいつも近隣の東海三県から100人の人に来ていただいております。
だから、もっとラージボール愛好家を増やすにははじめて卓球をする人を探すよりは
硬式卓球をする上手な人たちにラージボールのおもしろさを伝えなければならないと考えました。
そのために、私自身が三重県中の練習会場に向かって私を知ってもらうのではなく、
大会を主催して硬式をしている人に来ていただき私を知っていただくほうが早いと思いました。
前述したように昨年より開催した硬式大会は、三重国体に合わせて総合体育館を
作っているため台数がかぎられたサブ体育館で80チームだけで大会を開催しております。
そのため嬉しいことに開催案内を出してからあっという間に完売になり、
キャンセル待ちをしていただくチームが出ました。
今でも空きはないかという問い合わせをいただく状況が続いております。
ラージボール大会は3か月に一度開催するのですが、ほとんどの開催で1週間前まで
頑張って参加チームを探さないといけない状況が8年間続いています。
もっと、早く硬式大会を開催しておけばよかったと言っていただく先輩たちもおります。
いまでは、少しづつですが硬式をしておられる人たちに私を知っていただき
私も参加していただく人の顔やお名前を覚えるようになってきました。
友達が増えることは嬉しいですね!
今度、試験的に硬式の団体リーグ戦に挑戦することを企画しました。
2人団体戦に参加しているチームの人から要望があったので、やってみることにしました。
人気があれば引き続き開催をしていきたいと思っております。
もっと、収益の上がる競技形式もあると思いますので一緒に考え挑戦していきましょう!
最後にこれからもその都度、参加者の希望を聞きながら修正してより良い大会を目指していきます。
【卓球の魅力とは?】
若く見える
卓球は瞬発力が必要なスポーツなので反射神経が素晴らしくなり若く見えます。
動体視力が向上する
卓球はボールのスピードが早いのでそのボールを目で追いかけることで動体視力が他人より絶対に早くなります。
仲間が増える
練習会や試合に参加すると卓球を愛する楽しい仲間がたくさん増えます。